断捨離の前に「欲しいもの」と「必要なもの」を精神面や物質面で捉えてみる

断捨離の前に「欲しいもの」と「必要なもの」を精神面や物質面で捉えてみる

断捨離とかミニマリストが一時期ブームを呼び、書籍やメディアでも話題になりましたが、これを実行するにあたっては、自分の暮らしや人生にとって、モノを最適化するというスタンスで取り組む必要があります。

全く必要ないのにモノが部屋に溢れかえって、窮屈な暮らしをしている人や、反対に多くのものを持たないと暮らせなく不足している人もいるかもしれません。

人生や暮らしにとって、欲しいもの(欲求)と本当に必要なもの(重要)を考えてみたいと思います。

欲しいものは買ったことが満足、その人にとってはモノとしての価値や役目が終わる

衝動買いとか散財は、そのモノが欲しくて仕方ないから、「手に入れる」という欲求を満たそうとします。その後はその人にとってはもう価値がないものになり、必要ないものになります。

極端な話、必要でもなく激しくiPad が欲しい衝動に駆られて、自分では何に使うか目的も何もないのに、所有満足度で得たくて、購入する人がいたとします。

もう購入してからは必要じゃないので、使わなく、また興味もなく放置したとしましょう。これは「購入して開封した」ことにより、買ったその人にとっての「モノの役目」は終わっていることになります。

いつも欲しいものばかり買う人は、本当に必要なものを理解してないことが多い!?

欲しいものはどんどん購入して部屋のスペースを占有していく人がいたとして、実はその人にとって本当に必要なものは揃っているのか?という疑問がわきます。

その人が本来は埃が出やすい部屋だからいつでも手に取って掃除ができるダイソンの掃除機が本当は必要かもしれませんし、最高級のインプラントを高額の費用をかけて入れることで、この先、歯については困らなくしておくことが重要だったりするわけです。

またもしかしたら、物質的なものではなく、何もないすっきりした空間が本当の癒やしであり充実かもしれません。それを求めているとわかれば、ミニマリストを目指して断捨離をするべきです。

欲しいものから本当に自分の人生に必要なものを考えてみる

お金を出して物質的なものを購入することで、「欲求」の満足度を得るわけですが、「欲しい=必要」ではないことがほとんどだったりします。

あんなに欲しかったのに、実際に手に入れた瞬間に冷めてしまったり、必要と思って手に入れたはずなのに実際は全然使わないものだったりということが日常で頻繁に起きていることがあります。

小さな買い物でいつも自分に問いかけてみると、これが普段できる断捨離の一つなのかもしれませんね。

欲しいものを手にすることが幸せであれば、それはその価値観だからその気持は大事にすべき

その人にとって本当に必要なものを手にできているかは実際には誰にもわかりませんし、本人もわかりません。

これまで気づけなかった「自分にとって本当に必要なもの」がわかってそれを手にしたとき、今まで以上にその人にとっての幸せがやってくる可能性は大きいと思います。

しかし、「欲しいものを買って散財を繰り返す」という行為もこれはこれで否定をしてはいけないと思います。

物質的な欲求を満たすことにより、仕事の疲れが取れてまた頑張れる
必要じゃない欲しいというだけの理由で買った瞬間にすべての嫌なことが忘れられる
買ったものは別に使うことはないけど、所有満足感で心がときめいていられる

これらの場合は、「欲しい=必要なもの」ということになり、本人とっては幸せなことになりますからね。

まとめ

家や部屋をすっきりさせたい、片付けて綺麗な環境で暮らしたいという理由から断捨離を考えている人は、まずは「今の人生にとって必要なもの」を物質的なことから精神的なものまで考えれば、断捨離という枠にとらわれず、本当に欲しくて必要なものが手に入るのかもしれません。

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